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2008 07,24 13:14 |
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延びに延びていたマニラの第3ターミナルが遂に開港しました~!
開港初日の7/22はセブ・パシフィック航空が国内5路線を運航し、 来週にもすべての国内線をNAIA3に移行する予定。 また、PALエクスプレス、エア・フィリピンの2社も第3を使用します。 本日7/24よりフィリピン航空と共同運航便 エアフィリピンのカティクラン線(2桁便)の全てが、 第3ターミナルに変更になっています。 他にも、ダバオ行きの2P便は、第3を使用します。 そのため、手荷物はフィリピン航空→フィリピン航空であっても、 マニラ(第2)空港で、一旦受け取って下さい。(スルーバゲージの場合は別) 最少乗継時間は今までどおり2時間。 空港税も通常通り 国内線出発時「200ペソ」。 第3→第2→第1→第3の順で「無料循環シャトルバス」が運行しています。 (※マニラ乗継アシスト付きの場合は、現地スタッフがご案内します。) 日本の空港で、本日よりインフォメーションを徹底するそうですが マニラで乗継がある方は、チェックイン時に必ず 「荷物はドコで受取るのか」「乗継先の空港はドコなのか」 必ず確認して下さいね。 PR |
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2008 05,21 15:54 |
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マニラ湾に沿って、エルミタ~マラテ地区まで整備された遊歩道があります。
昼間はさすがに暑いですが、夕方~夜にかけて カップルや家族連れがそれぞれの時間を過ごしています。 ベイ沿いのホテルに泊まってない人も無料でマニラ湾に沈むを 楽しむならここがBESTかもしれませんね~! ここの遊歩道に行くにはロハス通りを越えないと行けません。 周りに人がいない場合は、信号のあるところをわたりましょう。 近くにローカルがいる場合は、同じグループとして うしろにチョロチョロついて渡るのが一番安全(笑) 遊歩道のちょうど真ん中、グランドブルバード近くには ロハス通りを挟んでマラテ教会や噴水があり、その先には たくさんのレストランがあるアドリアティコ通りがあるので その辺に行くにはちょうどここで渡るのが一番ですが、信号ありません。 ここはたくさんのひとが渡るので、やっぱりなれないうちは 人が来るまでまって、一緒に渡るといいと思いますよー ↑噴水側からみた遊歩道 ↑マラテ教会 夜はライトが点灯してまた違う雰囲気。 もし、この遊歩道を歩くなら端から端までで何個の銅像(石像)があるか かぞえながら歩くと楽しいかも!? 「まーなんてこんなにいっぱいあるんだっ」とビックリされると思いますよ(笑) |
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2007 09,18 16:09 |
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マニラ国際空港管理庁、MIAAは、2007/09/17(月)にニノイ・アキノ国際空港で、乗客や空港職員がターミナル1や2、国内線空港の間を移動できる様にする為に、無料のシャトルバス・サービスを開始しました。※時間は不定
パッケージツアーには乗り継ぎのアシストが付いていますが (PR→PR間はご自身で乗継)ターミナル間の移動がこれで乗継が少し楽になるかもしれませんね~。 |
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2007 01,22 17:25 |
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マニラ空港公団が、「セキュリティー・ディベロプメント・フィー(SDF)」の徴収を開始すると発表されました。金額は一人P200。徴収開始は2月1日。P550のターミナルフィーを支払う際にP200も支払。徴収は5年間の期限付きで、フィリピン人出稼ぎ労働者はターミナルフィー同様に免除されます。
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2006 06,03 12:45 |
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ベイエリアを闊歩する人々、マカティの高級デパート街で優雅にショッピングを楽しむセレブ、高層ビルでオフィスワークに励むビジネスマン。
彼らに『1番尊敬する人は?』という同じ質問を投げかけてみる。 返ってくる『答え』はおなじ。 『ホセ・リサール』である。 1861年、ラグナ州のカランバに生まれた彼はアテネオ学院、サント・トーマス大学で医学や詩を学んだ後、21歳にしてスペインに渡り、民族意識に目覚める。 帰国後、民族運動に傾倒していくことになる。 その結果、流刑、拘束など、激しい弾圧にあうことになる。 1896年に起こったフィリピン革命の扇動者として逮捕、サンチアゴ要塞に幽閉され、同12月30日(リサールの日)にリサール公園内、リサール殉教野外劇場にて銃殺刑に処され35歳の短い人生を終えた。 この日のホセ・リサールの独房から処刑場に向かうまでの足跡がサンチアゴ要塞内に再現されている。 16ヶ国語(?)を話し、彫刻、絵画、詩、医学、思想、全ての面で優れていた彼の作品はサンチアゴ要塞内、リサール記念館の中に保存されている。 また、身長149cmという小柄な彼は1888年に一ヶ月ほど日本を訪れており、有楽町の日比谷公園にも記念碑が建っている。 日本にも馴染みのある『英雄・ホセ・リサール』。 彼の足跡を回りながらマニラを見てみると、また違った側面が見えてくるかもしれない.. |
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